“minotakeの家プロジェクト”のN邸の地盤改良が無事終りました。

今の家づくりは、建物だけでなく地盤も10年の瑕疵保険(保証)がついています。
地盤が沈んで家が傾いた時でも、第三者機関がその修繕のお金を出してくれるという
とてもありがたいシステム。そのぶん施工者に厳しく施主さんを保護するようできています。

そしてここ創和建設のminotakeプロジェクトも同様に、昔だったらそのまま基礎工事突入だったのが、地盤調査をしてそのデータによっては地盤改良をしっかりしたあとに基礎に入ります。
このあたりの保険や保証の仕組みは、設計者というより私たち施工者のほうが昔からすすんでいる。それだけ住宅がクレーム産業という証拠。

これから上棟~構造~仕上げといつものように“安心&安全”を確保しながら、それでもダメダメ主義じゃない暮らしを意識した豊かな家づくりを目指して、施主&設計者とともに歩んでいきます。
“暖炉のある家”と“ASAZUMIの家”のすでに2軒が完成したこのプロジェクト。
この3軒目も負けてない…素晴らしい自然住宅になります。

お隣の4軒目のM様邸の基本設計もすでにはじまり、1軒の家が4軒のコミュニティへと繋がり、そしてまだ土地として販売契約に至っていない最終の5軒目・6軒目(そのすぐ手前に建築中の3軒を含めると合計9軒の自然住宅の家並み)の柔らかな家並みが完成…それは周囲の畑や遠くの山並みと一体になり、やがて風景となります。

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完成したばかりの相模大野の家の施主さまから、設計の市川さんと創和建設にお呼びがかかり、(竣工祝い)ということでお食事会(兼、呑み会)にご招待されました。

場所は渋谷と表参道のちょうど青山通りの真ん中あたりの地下にある素敵なお店。
じつはこの近辺、私が遥か遠い昔、大学を出たばかりで表参道の骨董通りあるゼネコンに勤め始めた時に週末同期の仲間たちと訳もなくウロウロしていた想い出の通り…
青学の校舎以外はすっかり変わっていましたが、通りの雰囲気は昔と変わらずやはりオシャレ。(当時は、バブルの夜明け前、望めばどんな企業にも就職可能な勢いのある時代。
日本が上ばかり見ていた時代…そう、私もコンクリート打放しのカッコいい家が大好きで、今とは違う人生の夢ばかり見ていた時代?年を重ね、好きな家のカタチも、今ではまったく変わっていきましたが…)

夕方7時頃にはじまり、途中私たちの前に銀の大皿が…そこには大きく言葉が書かれていて…サプライズです…「素敵な家をありがとう!」の文字が…これだから、いくつになっても、ものづくりはやめられない(笑)!感謝するのは私たちのほうなのに、お客さまから逆に感謝される。いい仕事です。今も昔も、家づくりは人と人との繋がりで出来ていく。

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帰りの渋谷から藤野まで中央線(終電)で揺られながら「私たち造る側は年間30軒のうちの1軒、だけどお客さまは一生に一軒の大切な住まい」という、いつもの私の口癖が頭の中をぐるぐるまわって、より感動に拍車がかかり「もっと、頑張らねば!」と変なプレッシャーが…そんなに若くないのに。‘若き頃の想い出の街’と‘銀の皿の文字’で、気合入りまくりの渋谷の夜…感謝です。

最近、何かと話題になっている埼玉県飯能市。面白い建築物もたくさんあります。
自治体の規模の大小はあるものの、創和本社のある藤野とは共通点も多く、
藤野のシュタイナー学園・飯能の自由の森学園、ともにアーティストが多い、移住者の受け入れに積極的などなど…。

昨年より、創和建設&設計室en&フォレスト西川の3社がタッグを組んで、飯能市の仕組みを利用しながら家づくりに向かう“創和建設・飯能スタイル”。
すでに、1軒が設計開始。移住補助金、西川材補助金を使いながら、最終的には建売分譲の匂いのない、良質住宅が出来上がるというありがたい仕組み。(豊かな景観・広い敷地・無垢と自然素材の住宅)
とくに素晴らしいのは、土地を飯能市が紹介してくれる。それもいくつも。農や植栽のマイスターがついてくれるということもいい…半農スタイルという呼び名もありますが、いただけるものはいただいて暮らしに役立ててください。

なんでもそうですが、補助金はタイミングと期限と限度額があるもの。ご興味のある方は、ぜひ創和建設・志村までご連絡を…。
(相模原・津久井産の木材補助金や移住補助金も出ないかな~と思うこの頃ですが、相模原市自体が人口がそう減っていないのでたぶん無理!)

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