2010年08月23日
お神輿 準備!!
今週は、来週のお祭りに備え、
子供たちと支度や、道路のゴミ拾いに行きました。
年々子供の人数が減り、支度も大変ですが。
今年は、役員になったため、
日々頑張って、支度をしています。
なかなか古く、昔、地域の人が作った
手作りだそうです。
今年はネットで、鈴と紐を購入して、
金ぴかにしちゃいました。
あと前会長と計画して、神輿の修復も依頼してしまい
かなりきれいになりました。
今週は、忙しいけどがんばるか。
26日には、岩楯尾の神社という所で
この地域の子供たちを集めて、
神社でお店を出したり、ゲームをする予定です。
後は、土・日はまつりです。
これが終われば役目も大体終わるかな。
子供たちは、けっこう楽しみにしているみたい。
ヾ(@°▽°@)ノ
2010年08月22日
「夕焼け小焼けの里」…せっせと働く小市民、せっせと働け小市民!
昔から器がとっても小さいせいか(お猪口くらい?笑)
「半年後の仕事が決まっていないと不安」病があり、
日曜・祭日も関係なしに営業や仕事にいくことが多いです。
我ながら「本当に小市民だな~」と、良く思います。
ただ、最近の(土・日)の大渋滞にはまいります。
今日も八王子まで、行きは15分、帰りは~大渋滞。
↓そこで、いつものように 廻り道。そう、その道が↓
「夕焼け小焼けの道」
(夕焼け小焼けの里から陣馬山を抜ける山道です。)
マイナスイオンたっぷり 気持ちがいい
車もほとんど走っていない 静かな道
ストレスも会社に帰るまでに スッキリ
と言っても ストレスにはもとから(鈍感)
たまに 家族のこともいろいろ考えたり
童謡の歌詞って 怖いのもあるな…とか
それにしても このあたりの名前って
そこいらじゅう「夕焼け」だらけだ~!
以上 前向きな小市民の日曜でした。
(明日より日頃お世話になっている方の多摩境の
住宅改修を着工いたします。宜しくお願いします。)
2010年08月18日
アプローチ&デッキ…連絡です。最後にお互い、いっぱい悩みましょう!
2010年08月18日
ゴーヤ収穫!!
先日、ゴーヤを収穫しました。
なかなか、自分でもよく育ったなと思いした。
少し売り物と違い丸こいけど、まあ上出来でしょう。
今年の夏は、猛暑なので、ゴーヤでも食べて、夏バテしないようにがんばるぞ。
ママ友から聞いたのですが、何せ薄くスライスして、白い綿をきれいに、
取り除く事だそうです。後最後に、塩もみだそうです。(いいこと聞いちゃった)
本当に作ってみたら、苦くなかったよ。ありがと―
先日、高尾の方に用があり、運転していくと、道が激変していました。
びっくりでした。
見えにくくて、すみません。
医療センター前に、出てきました。
大丈夫かな。これから道が大きくなって
いけるかな?
自慢ではありませんが、山道は、
得意なのですが。
大きい道路は苦手です。
2010年08月16日
記録「54年8カ月6日5時間32分20秒3」…金栗四三
今日は休みなので、仕事抜きで行きます!
「54年8カ月6日5時間32分20秒3」
42.195キロを54年もかけて走った1人の日本人がいます。
それは、1912年7月「ストックホルム・オリンピック」の出来事。
当時の世界記録保持者「金栗四三」は、日本中の期待を一身に受け、
オリンピックの最後を飾るマラソン競技へ出場しました。
しかし日本からの長旅と手配ミスで、自ら走って会場入りしなくてはならず、
スタートは切ったものの、20数キロで意識を失ってしまい、気がついたのは
翌日すでにオリンピックが終わってからだったそうです。
その日の記録帳には、「金栗四三(日本)~行方不明」と記された。
彼は、それからの人生も「オリンピックと日本の陸上」のためにつくし、
箱根駅伝を開催するなど、後進の育成にも大きな功績を残す。
そして最後は、日本陸連の会長まで登りつめる。
ただ、彼の心の底には…初めて走った「ストックホルム」での
死にたくなるような惨めで苦い想いが、
こびり付いて離れなかったそうです。
それから月日は流れ、76歳になった彼が熊本の実家で静かに
余生を送っていた「ある日」…1通の手紙が届きます。
そこには、「ストックホルム・オリンピック委員会」の名前がありました。
内容はというと、
「あなたは、55年前に我が競技場をスタートし、
未だにゴールしておりません。是非、ゴールすることを要請する。」
…と、信じられない文面が。
76歳の金栗さん、同封された招待状を持って、ストックホルムの空港へ
降り立ち、競技場を目指します。競技場は昔のまま残っていました。
競技場のアーチをくぐったスーツ姿の彼は、遠くにゴールテープが
張ってあるのを目にする。…そして、ゆっくりと走りだす。
ゴールテープを切った金栗さんは、空を見上げながら一言
「やれやれ、ほんとうに長いレースだった。」
と、抜群の笑顔を見せる。
人生で一番苦しく辛い思い出が、人生で一番優しい思い出に
変わった瞬間だったそうです。↓いい顔してます。
翌日スウェーデンの新聞には、金栗さんのゴールシーンの写真とともに、
大きな文字でこう書かれていたそうです。
「ミスター金栗・イン・ジャパン
記録・54年8カ月6日5時間32分20秒3
これをもって、ストックホルム・オリンピックの全ての競技が終了した。」
この世界最低記録は永遠に破られることはないでしょう。
4回ものオリンピックへ出場し(そのうち1回は戦争で×)、陸上のために
人生の全てを捧げた寡黙な人に、最後の最後に
「神様のオマケ」がちょっとだけあったのかな?
金栗さん 最低だけど 最高だぞ!
今でも毎年、箱根駅伝で一番がんばった人に1つの賞が贈られます。
それを「金栗賞」といいます。