2025年06月23日
創和建設NEW設計士メンバー天草さんインタビュー!
志村: 今日は創和に新しく加わった設計士・天草さんにお話を伺います。よろしくお願いします。
天草: よろしくお願いします。ちょっと緊張しますね(笑)。
志村: まずは、藤野に移住された経緯を教えていただけますか?
天草: はい。2010年の春に、東京・北区の王子から家族で藤野に移ってきました。当時、子どもが2歳だったのですが、成長する姿を見ていて「このまま都会で育てていいのかな」と考えるようになったんです。そんな時に、西新宿で開かれていたシュタイナー学園の座談会にたまたま参加して、初めて“教育移住”という考え方に触れました。藤野の自然や人との距離感、学びの環境に惹かれて、ここで子どもを育てたいと思い、移住を決意しました。
志村: 教育がきっかけだったんですね。建築を志したのはどんな理由からですか?
天草: 一番のきっかけは、小学生の時にテレビで見た阪神淡路大震災の映像です。壊れた街の様子に衝撃を受けて、「もっと丈夫な建物があれば人の命が助かるかもしれない」と思ったんです。そして、父の影響も大きかったですね。父は自衛官で、災害支援の任務で現地に赴くことが多く、家でも被災地の話をよくしていました。そういう環境に育ったことで、「自分も誰かの力になれるような仕事をしたい」と、自然に建築を目指すようになりました。
志村: そこから本格的に建築の道へ進んだのですね。
天草: はい。工業高校に進学し、建築を専門的に学びました。大学や専門学校でもずっと建築一本で、他の職業は正直あまり考えなかったです。卒業後は小さなアトリエに勤め、そこからハウスメーカーに転職しました。初めの頃は収入も少なく、「こんなに勉強してきたのに…」と悩むこともありましたが、現場での経験が今の自分をつくってくれたと思っています。
志村: その後、藤野での暮らしはいかがでしたか?
天草: 正直、最初は戸惑いました。自然が多い分、整備された公園や子どもが安心して遊べる場所が少なくて。車で移動しないと行けないところも多く、「都会とは違うな」と実感しました。ただ、人との距離感はすごくあたたかくて。東京では隣人のことも知らないのが当たり前でしたが、藤野では“見守られている”という感覚があって、今ではその距離感が心地よくなっています。
志村: 地域とのつながりも深いですよね。
天草: はい。今では青年会議所や商工会青年部にも所属しています。最初は知り合いも少なかったのですが、地元の方々が釣りやゴルフを教えてくれて、少しずつ趣味も増えてきました。それまで仕事中心の人生だったので、新しい楽しみができたことは大きいですね。
志村: 奥さまも活動的だと聞いています。
天草: 妻はお菓子作りが得意で、地元のイベントなどでお菓子を販売したり、駅前の「カドナリ」にも出店させてもらっています。家族としても、地域に根ざして活動できることはとてもありがたいです。
志村: 今後の目標はありますか?
天草: 最近では能登の地震もあり、災害のたびに「自分に何ができるだろう」と考えさせられます。父が言っていたように、「迷わず動ける人間でありたい」と思うんです。建築の仕事を通じて、安心や希望を届けられるよう、藤野の暮らしに根を張って貢献していきたいです。
志村: ありがとうございました。天草さんの芯の強さ、すごく伝わってきました!
苗字の天草でわかる通り、元を正せば想像通り九州の生まれらしいですが、創和建設との仕事もまだ始まったばかり。
今回のインタビュー、最初からとても最後まで真面目さが私たちにも伝わってきました。ほんとにびっくりするくらいずっと変わらず穏やかないい人。
ただ、人間、そうパーフェクトに真面目な人はいないと思いますので、そのうちに「へ〜、こんなところもあるんだ〜。ちょっと変だぞ〜(クス(笑)!)天草さん」みたいなところを発見するのを楽しみにお付き合いをしていこうと思っています。