2010年08月16日

記録「54年8カ月6日5時間32分20秒3」…金栗四三

今日は休みなので、仕事抜きで行きます!

「54年8カ月6日5時間32分20秒3」

42.195キロを54年もかけて走った1人の日本人がいます。


それは、1912年7月「ストックホルム・オリンピック」の出来事。

当時の世界記録保持者「金栗四三」は、日本中の期待を一身に受け、

オリンピックの最後を飾るマラソン競技へ出場しました。


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しかし日本からの長旅と手配ミスで、自ら走って会場入りしなくてはならず、

スタートは切ったものの、20数キロで意識を失ってしまい、気がついたのは

翌日すでにオリンピックが終わってからだったそうです。


その日の記録帳には、「金栗四三(日本)~行方不明」と記された。


彼は、それからの人生も「オリンピックと日本の陸上」のためにつくし、

箱根駅伝を開催するなど、後進の育成にも大きな功績を残す。

そして最後は、日本陸連の会長まで登りつめる。

ただ、彼の心の底には…初めて走った「ストックホルム」での

死にたくなるような惨めで苦い想いが、

                  こびり付いて離れなかったそうです


それから月日は流れ、76歳になった彼が熊本の実家で静かに

余生を送っていた「ある日」…1通の手紙が届きます。

そこには、「ストックホルム・オリンピック委員会」の名前がありました。

内容はというと、

「あなたは、55年前に我が競技場をスタートし、

未だにゴールしておりません。是非、ゴールすることを要請する。」

                        …と、信じられない文面が。


76歳の金栗さん、同封された招待状を持って、ストックホルムの空港へ

降り立ち、競技場を目指します。競技場は昔のまま残っていました。


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競技場のアーチをくぐったスーツ姿の彼は、遠くにゴールテープが

張ってあるのを目にする。…そして、ゆっくりと走りだす。


ゴールテープを切った金栗さんは、空を見上げながら一言

「やれやれ、ほんとうに長いレースだった。」

                 と、抜群の笑顔を見せる。

人生で一番苦しく辛い思い出が、人生で一番優しい思い出に

変わった瞬間だったそうです。↓いい顔してます。

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翌日スウェーデンの新聞には、金栗さんのゴールシーンの写真とともに、

大きな文字でこう書かれていたそうです。


「ミスター金栗・イン・ジャパン

記録・54年8カ月6日5時間32分20秒3

これをもって、ストックホルム・オリンピックの全ての競技が終了した。」


この世界最低記録は永遠に破られることはないでしょう。

4回ものオリンピックへ出場し(そのうち1回は戦争で×)、陸上のために

人生の全てを捧げた寡黙な人に、最後の最後に

「神様のオマケ」がちょっとだけあったのかな?

金栗さん 最低だけど 最高だぞ!



今でも毎年、箱根駅伝で一番がんばった人に1つの賞が贈られます。

それを「金栗賞」といいます。


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