山梨県上野原市の昔からあるお饅頭の名店の“高城”さん。

3月から造成&基礎工事をコツコツとやってきましたが、
ここにきてやっと先が見えて来ました。

2週間に1度の工程&施工会議を、どうせだったら近くのカフェでということで、
カフェ・ローグさんやニノカフェさん、以前から行きつけのハシドイさんで
やろうということになりました。
(これは創和建設がカフェが好きという事もあり勝手に決めています)

それぞれのオーナーさんも、カフェタイムに図面を広げて多い時は10人を越すこともあり、ご迷惑を笑顔で受け入れてくださいます。打合せが終わり、ひと段落して、周りに隣に座っている地元の方々との話しも盛り上がることもあり、そこがまた嬉しい。

やはり、笑顔の人と話すのは最高です。

今年いっぱいは、ご迷惑をおかけすることもあるかと思いますが、
カフェのオーナーさん「温かい目で見てください」宜しくお願いします🙇

それでは、美味しい高城さんのお饅頭楽しみにしていてください。
(オープンまでは、甲州街道の大和屋ビルの1階で営業しています)

山梨県の甲州街道沿いにある上野原市を代表する郷土菓子の“酒饅頭”。
県が違えど、私たちも子供の頃から何かイベントがあると食べていました。
数軒ある饅頭屋さんの中でも、この度上棟した高城饅頭店さんは、
天皇家に献上されたこともある、上野原市を代表する和菓子店です。

歴史のある街並みに多い間口が狭く奥行きがあるの寝床の土地に建つこの店は、
店舗〜工場〜休憩室と続き、特に店舗は、施主様の希望dもあり、創和建設の
家づくりの基本である「古くても良質な材は残す」を考えた設計になっています。

完成予定は年末。完成した暁には、来店した皆様に「昔の建物の方が良かった」と
言われないように小俣監督、関戸棟梁をはじめみんなで頑張っていきたいと思います。

創和建設では、10人を超える大工さんとお付き合いがあります。
その中から、今回は島崎棟梁にスポットを当てご紹介します。
ブログタイトルにも書かせていただいたように、
お隣、愛川町から来ている島崎さんは、何しろ笑顔のイメージ。
お客様からの質問にもニコニコして答えています。

そんな大工さんの人柄が少しでも伝わるようインタビューしてきました。

年齢は49歳。1番油が乗っている年齢と言っていいかと…。
奥さんとお子さん2人の4人家族で暮らされています。

趣味は神輿とゴルフの、何しろ明るい性格の彼は、
なんで大工さんになろうと思ったのか聞いたところ
「小さい頃は野球選手になりたかったのですが、
ある時期からものづくりが大好きになり、
それがこの道に繋がってきました」との事。
大工さんになって良かったな〜と思う時は…
「建物が出来上がって、お客さんが本当に喜んでいる時、
その笑顔を見ているととっても嬉しくなります」
実に島崎さんらしい答えだなあと、こちらも笑顔になります。

城山の家を仕上げ…現在はメゾンMの施工に携わっている島崎さん、
最後に緩い〜い質問で「好きな歌手とか俳優とかいますか」には、
「安室奈美恵ちゃんとあいみょんです」と微笑んでいました。

山と湖に囲まれたこの小さな藤野という町で、ひっそりと、しかしながら確かな存在感を放つ店があります。

そのお店の名は 「家族と一年商店」

このインタビューでは、私たちにとっては耳慣れないエシカルという言葉がたくさん出てきます。。
読んでいただき、少しでもわかっていただけますと幸いです。
家族と一年商店さん、日々の暮らしの中で無理なく環境や人権、
動物福祉に配慮できる“選び方”そして“生き方”を提案しています。
今回は、お店を営む中村さんに震災や子育てを通して育まれた価値観、
そしてお店に込めた思いを伺いました。

―まずは中村さんの自己紹介からお願いします。

もともとはドイツ生まれで、その後は立川の米軍ハウスに住んでいました。
11歳のとき、絵描きの父が「藤野はいいよ~」と友人に勧められて、アトリエを建てるために家族で
藤野に移住したのが30年前くらい。でも当時の私はちょうど思春期に入るころで、都会への憧れも強く、
田舎暮らしに正直抵抗がありました。
なので、中学からは私立に通い18歳で藤野を離れたので、藤野にはあまり地元という感覚はないかもしれません。

―藤野を離れていた期間が長かったんですね。若い時は都会って魅力がありますよね。それがどうして戻ることに?

子どもが小学校に上がるタイミングで「東京の暮らし、このままでいいのかな」と思うようになりました。大きなきっかけは藤野にあるシュタイナー学園への入学。教育面での魅力もありますが、それ以上に、この町の人の多様さや、受け入れる空気の広さに惹かれました。

―外から見ても、確かにここ藤野は他の町とちょっと変わってますよね。実際に戻ってきて、価値観が大きく変わった瞬間はありましたか?

長女が生まれた年に東日本大震災があり、原発事故も経験しました。
それまで環境やエネルギーの問題はどこか他人事でしたが、一気に現実になったんです。
子ども時代はドラえもんの世界のような「未来は便利で発展していく」と信じていましたが、
そのときから「今あるものを守る」ことの重要性を強く感じるようになりました。
東京ではエコやエシカルを意識しても、結局は“買う”ことでしか選択できない。
でも藤野では、もらう・分け合うが日常にあります。
そういう循環が「エシカルな暮らし」の本質に近いと思います。
モノを買うだけでは一方通行ですが、つくる・シェアする・循環させることで、
人も自然も豊かになるんです。

―「本当の豊かさって何なんだろう」ということなんですね。そして開店を目指すわけですね。ご自身のお店「家族と一年商店」の店舗をすぐにつくられたんですか?

いえいえ、最初は文章やSNSで、家族との暮らしやエシカルな選択について発信していました。コロナ禍になって、同じ方向を向く人とつながりたいと思い、2021年にオンラインショップをスタート。
私は「エシカル=真面目で難しい」って思われがちなところを変えたくて。
扱うのは環境や人権、動物福祉に配慮しつつ、暮らしにワクワクを与えるもの。
たとえば、手作りのラタンバスケットやフェアトレードのチョコレート。
ちょっと高くても、長く使えて背景が見えるものを選びたい。エシカルは義務じゃなく、
「選ぶのが楽しい」と感じられることがとても大事なんです。

~聞いている私たちにも「ウキウキ・ワクワク感」が伝わってきます。それが同じ方向を見ている方と徐々につながっていくんですね。~

―たくさんの候補地があったと思うんですが、店舗がこの場所になった理由はどうしてなんですか?

2025年です。藤野のgood night suitの神鳥さんから「うちの店の向かいでやってみない?」と声をかけてもらいました。実際に商品を手に取ってもらいながら、背景やつくり手の話を直接できるのは、エシカルを伝える上でも大きいです。遠方からわざわざ来てくださる方もいて、本当にうれしいですね。

―目の前のgood night suitさんからですか…これも“つながり”からなんですね。話は変わりますが、エシカルな暮らしをずっと続けるって大変じゃないですか?

完璧を目指さないことです。
私はVoicyで「エシカル暮らしA面B面」を配信していますが、A面は理想、B面は現実の悩みや失敗。
たとえば「プラスチックを減らそう」と思っても、完全には避けられません。
でも「できる範囲でやる」「そのことを共有する」ことで、周りもハードルを下げて参加できると思います。エシカルって、ダイエットに似ているんです。やりすぎれば続かないし、無理なく取り入れれば習慣になる。暮らしを変えることは小さな選択の積み重ね。
その積み重ねが、未来の環境や社会を少しずつ変えていくと思っています。

―この町にUターンで戻ってこられ、都会と比べてあらためて藤野で暮らす良さって感じることはありますか?

「助け合いが自然にある」ことです。
東京ではご近所付き合いが負担に感じることもありましたが、藤野ではそれが安心感に変わります。
エシカルな暮らしって、特別な活動ではなく、こうした日々の人との関わりの中に息づいているものだと思います。

―最後に、これからの一年商店について教えてください。

物を売る場所ではなく、価値観を分かち合う場所にしたいです。
エシカルな暮らしは、完璧じゃなくてもいい。まずは「これならできそう」という小さな一歩から。
そんなきっかけを提供できるお店であり続けたいですね。

〜そんなに大きくないお店、そんなに大きくない店主、けれどその発信力はたいしたものです。
皆さんも、JR藤野駅から徒歩1~2分の「家族と一年商店」へ是非遊びにいらっしゃってください。
店主の思いがこもったそこに飾ってあるモノの一つ一つを眺めそして手に取ることで、
きっと、いつもの暮らしとちょっと違った“暮らしの風景”が頭の中で描けるような気がします。〜

タイトルのツインハウスの意味ですが、
15年前に建てたアパートのすぐ隣りに、全体のデザインを意識して、
外装、内装ともまったく同じデザインのものを建てるから…
日照の関係で屋根の向きだけは逆になりますが…。

3月に仮設工事に入りましたが、上棟がここまで延びてしまいました。あとは、粛々と丁寧に仕事をする。
大工さんは、愛川町から来ている島崎さん、そのうちにインタビューしてきます。

それでは、ツインハウスお楽しみに…藤野駅まで徒歩10分、ほとんどフラットな道です。
ご興味のある方は、創和建設不動産部までお声かけ下さい。

埼玉県飯能市の家づくり。神奈川と埼玉と県は違えど、
創和建設は埼玉県内では、飯能との関係性が最も大きい。

その要因はいくつかあります。
創和のある藤野にシュタイナー学園、飯能市には自由の森学園があること。
ともに移住者が多く移り住んでいること、自然素材に敏感な方が多いこと。
創和建設のメインの設計者の設計室enの小野さんが住んでいること。
お付き合いしている西川材のフォレスト西川さんがあること。
大工さん、左官屋はじめ職人さんも飯能の街からそう遠くない街にいること。
そして、創和建設のスタッフが飯能の町が好きなこと。
そう、地図で見るよりそんなに遠くないんです。渋滞も少ない。

以前作った“菜園がある家“のS様邸から数年、また1軒飯能らしい家が始まります。
畑と山に囲まれた気持ちがいいとっても広い土地…
これだけでも楽しい家づくりになります。

施主のTさんご家族をはじめ、設計の小野さん、創和建設の監督の山口と志村、
飯能の家づくりのいつものメンバーが揃って地祭りを行いました。
その様子は写真からわかるかと思います。

今回のブログは、飯能の家づくりを国交省サイトから抜粋、
相模原市緑区の市会議員さんも参考にさせていただいております。
良いところは是非是非!真似しましょう!

創和建設 “菜園のある家”

構造材には、地元の材木、天然乾燥の西川材を使った地産地消の家。
外壁は、高千穂シラスのそとん壁、内部は杉の無垢材と、漆喰塗り、栗の造作キッチンに、
米のり、にかわを使って造った建具など自然素材で仕上げ、身体にも優しい造りとなっています。
農のある暮らし『飯能住まい制度』を利用して建てた住宅となります。

令和7年4月1日までの‟農のある暮らし”「飯能住まい」制度の進捗状況。

現地案内をしたご家族…411世帯 1119名
‟農のある暮らし”飯能住まい制度認定件数…80世帯 253名
「飯能住まい」をスタートされているご家族…70世帯 219名

‟農のある暮らし”「飯能住まい」住宅の建築の様子

実に素晴らしい👍