2025年07月24日
ファミリータウン “相模湖の街家” 上棟!
相模原市緑区の相模湖駅そして相模湖畔からも徒歩約10分、また一つ家が建ちました。
お隣は、やはり1年前に完成したネールアーティストの方も住む家です。
国道20号(甲州街道)も至近。とても便利な土地です。
2人の大工さんが丁寧に作っているこの家は、
若い施主様ながら、外も中もいくつも色を増やさずシンプルに考え、
ファミリーホームさんと遠山信夫アトリエさんのチカラを借りて、
やりすぎない家になっています。
金物に頼らない伝統工法の家づくりも創和建設
このようにシンプルなデザイン住宅も創和建設
これからも、施主様の夢を叶えることを念頭に置き、
固まることなくいい意味での緩さをもって家づくりに励んでいきます。
2025年07月14日
藤野駅前の新たな“街の拠点”「カドナリ」店長・髙橋秋彦さんインタビュー!!
今回ご紹介するのは、藤野駅前に新たにオープンしたカフェ「カドナリ」の店長をされている髙橋秋彦さん。
カドナリは、コーヒーと音楽と地域のつながりが絶妙に溶け合う、藤野ならではの空間になってます。
創和建設の志村が大家であり、弊社がリノベーションをしたこともあり、店長の髙橋さんにじっくりとお話を伺ってきました。
志村:さっそくですが、なぜライブ・カフェを始めようと思ったんですか?
髙橋:実は、もともと「カフェをやりたい」と思っていたわけではないんです(笑)。
ずっと「自分の住んでいる地域に関わりたい」「街づくりがしたい」って思っていて。
そんな時に中村真広さんはじめいろんな方から「カフェやってみない?」
と声をかけてもらって、それなら面白いことができそうだなって、楽しくなってしまって。
前職はサラリーマンをしていたのですが、思いのほか大きな決断という感じではなく、
自分では転職というより、「部署が変わった」くらいの感覚なんです。
カドナリをする前から、家族の近くで働けたらなぁとは思っていたので。
志村:地域の中で、生活と仕事がつながっているのって素敵ですよね。
とは言えとても苦労が多いとは思いますが、カフェをやってみて実際どうですか?
髙橋:日々悩みながらですけど、楽しくやってます。
コーヒーももともと好きでしたし、人と話すのも嫌いじゃないので。
気づけば常連さんも増えてきて、知り合いというか、顔見知りが多くなってきましたね。
志村:このカフェにはステージとピアノもありますが、どんなイベントをされてるんですか?
また、これからどうしていきたいですか?
髙橋:地元のジャズベーシスト・納浩一さんはじめいろいろな方のライブや、誰でもステージに立てる「オープンマイク」なんかもやっています。今はジャズが中心ですが、今後はジャンルにとらわれず、音楽をやっている人が気軽に挑戦できる場所にしていきたいです。
志村:納浩一さん、メジャーですよね。まさか、ここで彼の音楽が聞けるとは、嬉しい限りです。
工事を担当したものとして一言、地元・津久井の木材を積極的に使い、設計者・材木屋さん・家具屋さんも地元の才能で固め、防音対策もしっかりしてますので心配ないです。
創和建設が責任もってリノベーションをしましたので。
髙橋:そうなんです。本当にありがたかったです。時間をかけてしっかり防音もしていただいて、
外にいても木製サッシとガラスを通して「音楽やってるな〜」くらいの、ちょうどいい感じです。
志村:そうですね、駅の階段を降りてくると雰囲気が伝わってきますね。
コーヒーもすごくおいしかったんですが、こだわりがあるんですか?
髙橋:はい。「スペシャリティコーヒー」といって、全世界の流通量の5%しかない高品質の豆を使っています。香りや味の奥行きが違うので、ぜひ味わってもらいたいですね。
志村:ランチプレートも3種類ありましたよね。地元食材も使ってるんですよね、私も知っている方が卸してますので。
髙橋:藤野や上野原の飲食店の方と連携して、数々の食材を提供してもらっています。
地域の優しい味を、このカフェで体験してもらえたら嬉しいですね。
毎週金曜日は「お惣菜デー」として、いろいろなおかずを置いてもらってます。
この辺は買い物できる場所が少ないので、週末の食卓の助けになればと。
志村:今後、「カドナリ」でやってみたいことはありますか?
髙橋:季節ごとのメニューを充実させたり、生ビールを出してみたいなと思っています。
ライブも、ジャズに限らず音楽に限らずいろんな人がチャレンジできる場にしたい。
そして、自分で店舗を持っていない方でも、ここで商品販売にチャレンジしてもらえ
ような場にしたいですね。
志村:藤野の駅前に、こんなに“人がつながる場”ができるって、嬉しいことですね。
夜、会社から帰るとき、カドナリに灯りがついている…とてもほっこりします。
街が生きている気がします。これから、藤野駅前周辺も相乗効果で賑やかになっていくといいなあとつくづく感じます。
高橋さん、最後に一言いただけますか?
髙橋:観光の皆さんも、地元の皆さんも、ぜひ気軽に立ち寄って、コーヒー片手にひと息ついてください。駅前ですし、駐車場もあるので、日々の切り替えの場所として使ってもらえたら嬉しいです。
カドナリは、毎日楽しく営業していますので。(今のところは、日曜・木曜がお休み)
髙橋さんと話していると、藤野を思う気持ちがにじみ出ていて、「カフェ」というより“地域のハブ”を本気でつくっているのが伝わってきました。
コーヒーも空間も、優しさと熱さが絶妙にブレンドされたカフェ。ぜひ、皆さんも一度足を運んでみてください!
2025年07月07日
1日が24時間じゃ足りないよ… ”山田かまち美術館“ 3度目の訪問!
17歳でこの世を去った高崎の天才”山田かまち”。美術館に行ってきました(3度目)。
彼の思春期の水彩画、クレヨン画、詩だけでなく、身のまわりの物も展示されています。
(個人的には、かまちの代名詞、有名なプリーズ・ミスター・ポストマンと、
あの時代、学生が買えるエレキギター〜グレコのストラトキャスターなど展示がうれしい)
いつもと同じ…ただ、今回の目的は「氷室京介の書いたかまち宛の手紙をみたいから」
山田かまちは、ボウイの氷室京介と小・中の同級生。
ビートルズやエアロスミスのロックにのめり込み、
1977 年8月10日にエレキギターの練習中に感電死。
そんな彼に宛てての手紙→展示してなかったです(残念)
というわけで空振りに終わった高崎(もう一つの目的、高崎山のウォーキングは⭕️)
最後に氷室の手紙を書いておきます。
「1日が24時間じゃ足りないよ」の言葉が悲しくひびきます。
最良の友かまち君へ・・
キース・ヘリング アンディー・ウォーホール
足早にその生涯を駆け抜けていった愛すべきクリエーター達
ビンセント・ヴァン・ゴッホ エゴン・シーレ
ドラマティックにその一生を送る事を運命づけられた天才達
そして君も生まれながらにして選ばれた者達だけが持つ
独持な輝きを持ちあわせていたよね
せめてあと10年・・あの非凡で多彩な手能を奮う事ができたら
君を想い出す度にその事をとても残念に思います
氷室京介
2025年06月30日
山梨県 ベストホーム “グラフテクトの家” 上棟!
キッチンハウス、そしてその素材感がカッコいい“グラフテクト”。
自然素材が売りの創和建設にも以前からこの手のキッチンメーカーさんと取引き(5年ほど前から)が何組か。
ある意味ほかのメーカーとの代替えが効かない素材感や色目だったりします。
そして今回山梨県でまた1軒グラフテクトの家が上棟しました。
白い大理石調の床板と本物の石とグラフテクトの組合せは方向性がドンピシャ。
中には「創和らしくない」と思う方もいると思いますが、
創和らしいって?どういうことか…お客様の目指す方向の中で、「お客様の大好き」を一番に考え、
それに向かって設計・施工…それが建築家(遠山信夫アトリエ)と私たち工務店のお仕事。
↓それでは個性の塊“グラフテクト”のキッチンです。↓
ご興味のある方は、ぜひご相談ください。
2025年06月23日
創和建設NEW設計士メンバー天草さんインタビュー!
志村: 今日は創和に新しく加わった設計士・天草さんにお話を伺います。よろしくお願いします。
天草: よろしくお願いします。ちょっと緊張しますね(笑)。
志村: まずは、藤野に移住された経緯を教えていただけますか?
天草: はい。2010年の春に、東京・北区の王子から家族で藤野に移ってきました。当時、子どもが2歳だったのですが、成長する姿を見ていて「このまま都会で育てていいのかな」と考えるようになったんです。そんな時に、西新宿で開かれていたシュタイナー学園の座談会にたまたま参加して、初めて“教育移住”という考え方に触れました。藤野の自然や人との距離感、学びの環境に惹かれて、ここで子どもを育てたいと思い、移住を決意しました。
志村: 教育がきっかけだったんですね。建築を志したのはどんな理由からですか?
天草: 一番のきっかけは、小学生の時にテレビで見た阪神淡路大震災の映像です。壊れた街の様子に衝撃を受けて、「もっと丈夫な建物があれば人の命が助かるかもしれない」と思ったんです。そして、父の影響も大きかったですね。父は自衛官で、災害支援の任務で現地に赴くことが多く、家でも被災地の話をよくしていました。そういう環境に育ったことで、「自分も誰かの力になれるような仕事をしたい」と、自然に建築を目指すようになりました。
志村: そこから本格的に建築の道へ進んだのですね。
天草: はい。工業高校に進学し、建築を専門的に学びました。大学や専門学校でもずっと建築一本で、他の職業は正直あまり考えなかったです。卒業後は小さなアトリエに勤め、そこからハウスメーカーに転職しました。初めの頃は収入も少なく、「こんなに勉強してきたのに…」と悩むこともありましたが、現場での経験が今の自分をつくってくれたと思っています。
志村: その後、藤野での暮らしはいかがでしたか?
天草: 正直、最初は戸惑いました。自然が多い分、整備された公園や子どもが安心して遊べる場所が少なくて。車で移動しないと行けないところも多く、「都会とは違うな」と実感しました。ただ、人との距離感はすごくあたたかくて。東京では隣人のことも知らないのが当たり前でしたが、藤野では“見守られている”という感覚があって、今ではその距離感が心地よくなっています。
志村: 地域とのつながりも深いですよね。
天草: はい。今では青年会議所や商工会青年部にも所属しています。最初は知り合いも少なかったのですが、地元の方々が釣りやゴルフを教えてくれて、少しずつ趣味も増えてきました。それまで仕事中心の人生だったので、新しい楽しみができたことは大きいですね。
志村: 奥さまも活動的だと聞いています。
天草: 妻はお菓子作りが得意で、地元のイベントなどでお菓子を販売したり、駅前の「カドナリ」にも出店させてもらっています。家族としても、地域に根ざして活動できることはとてもありがたいです。
志村: 今後の目標はありますか?
天草: 最近では能登の地震もあり、災害のたびに「自分に何ができるだろう」と考えさせられます。父が言っていたように、「迷わず動ける人間でありたい」と思うんです。建築の仕事を通じて、安心や希望を届けられるよう、藤野の暮らしに根を張って貢献していきたいです。
志村: ありがとうございました。天草さんの芯の強さ、すごく伝わってきました!
苗字の天草でわかる通り、元を正せば想像通り九州の生まれらしいですが、創和建設との仕事もまだ始まったばかり。
今回のインタビュー、最初からとても最後まで真面目さが私たちにも伝わってきました。ほんとにびっくりするくらいずっと変わらず穏やかないい人。
ただ、人間、そうパーフェクトに真面目な人はいないと思いますので、そのうちに「へ〜、こんなところもあるんだ〜。ちょっと変だぞ〜(クス(笑)!)天草さん」みたいなところを発見するのを楽しみにお付き合いをしていこうと思っています。