2011年04月03日
日本列島移住計画…2010.12月「ソトコト~それしかなかった町」
「大地&創和の移住プロジェクト」にさいして、Yさんより
いくつかの資料をいただきました。本当に感謝です。
その中に、昨年末のロハス雑誌「ソトコト」に掲載された
特集「日本列島移住計画」のコピーがありました。
タイトルは
「絶対ここに住みたい!ニッポンの心を感じる60の地域」
その中の27番目に、なんと「藤野」が紹介されております。
内容を抜粋して少しだけご紹介します。
「芸術家たちが集う それしかなかった町」
ことの発端は戦中まで遡る。太平洋戦争のさなか、
藤田嗣治をはじめとする、たくさんの国内の著名な芸術家たちが
藤野に疎開してきたことで芸術とこの町の関わりが始まる。
(彼らは、この地の道にマティス通りやピカソ通りの名をつけて
一大芸術都市構想を夢見ていたそうです。)
その後、県の水瓶である相模湖や、保有林である森林を有する関係で
工業地やバブルの宅地開発ができないという事情もあった。
(これのおかげで、近隣に比べ里山の環境が残ったともいえます)
それから現在に至るまで「芸術のまち…藤野」として成長を続ける。
町の人の言葉を借りると「それしか出来なかったから」と笑う。
すでに藤野には有名無名、国内外問わず約500人もの
芸術家が定住しており、町のいたるところに
「ギャラリー」や「陶芸の窯」そして発表の場となる「カフェ」が点在。
都心から車や電車で約1時間と利便性もあり、医師や教育者も多い。
もはや藤野は「おもしろくなる」ではなく
「おもしろい」と言い切ってしまってもいいだろう!
こんな感じで締めてました。…褒め過ぎだー(笑)
ソトコト(木楽舎)さん、どうもありがとうございました。
6月には、やはり建築雑誌「住む」でかなりのページを割き、
藤野の特集があるとのこと。スタッフ一同とても楽しみにしております。(笑)
今日、家内にこんなことを言われました。
「先日、フランク・ロイド・ライトの番組を見た。自然の中に家がある。
この町も、人口は増えてもらいたいけど、ギュウギュウ詰めの町ではなく
自然はこのままで、適当に家が散らばっているくらいになればいい。」
たぶん落水荘(カウフマン邸)のことを言ってたのだと思います。
誠に正しいご意見⇒おっしゃる通り!
役所と民間でチカラを合わせ(キッチリとした基盤整備に基ずいた)、
住宅が自然の中に散らばってるくらいに見える風景を創りましょう。
むかしは「芸術しかなかった町・藤野」のコマーシャルでした。